※ この記事は、2020年10月27日 財団設立記念フォーラム(牧野篤教授講演、テーマ:「「学び社会」の実現に向けて」)から、人生100年社会デザインのキーポイントを抜粋したものです。
「学ぶ」というのは、いわゆる学校で勉強したり、知識や文化を学んだりするということだけではなく、お互いに価値を交流しあい、新しいものをつくり出していくという喜びの循環に入るプロセスを指します。
つまり、新しい社会をつくり続けるというプロセス全体が「学び」だということになります。
PDCAサイクルは学びやまちづくりには不向き
学びやまちづくりは、従来はPDCAサイクルにより計画を立てて(Plan)、行動する(Do)、チェックを受ける(Check)、また実行する(Act)・・・という考え方で進められてきました。(図1 PDCAサイクル図)
しかし、学びやまちづくりにこの手法をあてはめると、実際はほとんどはこのようになってしまいます(図2 内向き竜巻状のPDCAサイクル図)。
チェックは「評価」を受けることになるため、達成できていなければ批判されることと同じとなります。そのため、萎縮してしまい、次のアクトが小さくなり、さらに小さいプランを立て、また評価を受けて・・・というように、どんどん縮小再生産みたいなことになっていってしまうのです。
どうしてこうなってしまうのか。PDCAは、たとえば製造業の歩留まりを改善するために、単一の指標を設定し、プロセスに作用する要因が決まっていて、数値で結果を測ることができるような目標達成的な事業においては有効に機能します。
しかし、教育や学び、さらにはまちづくりというような、無数に要因があり、人々の日常生活に深く関与するような営みには、評価や目標設定がなされた時点で、それ自体が負担となり、人々の動機づけを損なってしまうことになるのです。また、たとえばテストの点数を上げるということにおいても、回答を導くための筋道を枠づけし、子どもの発想の仕方を固定しないと、PDCAはうまく回りません。そうすると、それは子どもの個性を殺すことと同義になってしまい、一部の適応しやすい子どもを除いては、やる気を失わせてしまい効果が現れなくなってしまいます。
学びに効果的なAAR循環(サイクル)
本来、「学び」とはAARサイクルであるべきなのではないでしょうか。
Anticipation、予期する。そこには良き未来を構想し、わくわくしたり、ニヤニヤしたりするという意味が込められています。そういう未来を予期して、やってみて(Action)、少し振り返って(Reflection)、また新しいことを考えてやっていく。わくわくしながら次へ、次へという循環が駆動されていく。
そこには評価も批判もありません。振り返って、次にどうしようか、と新たな考えや予期が生まれてくることにつながっていくのです。
そういうものの中に入り込んでいくことが「学ぶ」ということ、そして自分の人生をつくっていくことなのではないでしょうか。そのとき自分の人生とは個人だけのものではなくて、みんながそこにかかわりながら、新しい価値を生み出していく人生なのだ、という関係になっていく。そういうことなのではないか、というふうに考えています。
つまり、AAR循環は、開放系の試行錯誤のプロセスなのです。
この開放系の試行錯誤のプロセスそのものが「学び」ということであり、そうしたものが実現できるような社会のあり方を考えていく。そして、それを実際に社会に実装していくところまで伴走できる組織が、この財団の役割でもあります。