コラム

公共空間の役割について~物理的な居場所と「排除されない」関係づくり~

※ この記事は、第3回人生100年社会デザインフォーラム(同志社大学教授 今里滋氏(当財団理事)と財団代表理事 牧野篤氏との対談)から抜粋したものです。

公民館のもともとの役割について

牧野氏)今里先生のお話しで、公民館は制約がたくさんあり使いにくいとおっしゃっていたのですが、確かにとても使いにくいんですね。

ただ公民館は、もともとはそういうものではなく作られたはずでした。公民館構想は現在の教育のシステムができる前に出来上がっていて、本来であれば住民たちが戦後の新しい社会をつくるときに、自分たちで公民館に集まり、そこでお酒でも飲み、ご飯でも食べながらみんなでわいわいガヤガヤ話をし、自分たちの町のことや村のことを考える。つまり自分たちが経営者になっていくためのものとして作られていたはずでした。

しかし、教育システムができて教育行政の法の中に入り込んでしまった途端に、「教育の施設だから、これはやっちゃいけない」と、どんどんいけないことが増えていき、結果的に今里先生が現在ご覧になったような公民館になってしまっているのですね。日本全国どこでもそうなのですが、やはりそうしたものが上手く動かなくなっている時代に入ったのではないかなと思います。その中から少しソーシャル・イノベーションの意味と意義についてお話しいただけますか。

公共空間とソーシャル・イノベーター

今里氏)そうですね、公民館に関連して言うと、先ずそこは公共空間であるべきだ、というのが私の頭の中にあります。公共空間については、ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』が有名ですが、彼は「パブリックスペース」=空間はギリシャの広場における議論を前提にしながら、アーレントを引用しつつ彼独自の公共圏論を構築していくわけです。そこでのキーワードは「議論する公衆」です。彼らのこの対等で合理性のある、ルール・規律をきちんと守った議論の中から、コミュニケーティブな合理性が生まれ、いろんな提案が出てくる。それが今度は、社会の問題解決策、アイデアを創造していくという、まさにイノベーションの創発を生む一つの基盤として公共空間があるということだと思います。

私もやはりハーバーマス的な公共圏を自分たちの力で実現したかったということで、ソーシャル・イノベーター達が集まれる場所を作りました。

牧野氏)公共空間ということですが、空間というのは場所のイメージですか、それとも関係性のイメージですか。

今里氏)いくつかの重なり合う部分があると思いますが、空間には言論の空間やもちろん何か関係性が構築されていくという面もあると考えます。それから具体的な場として、音楽会ができる、討論会ができる、パブリックビューイングもできるという、いろんな機能を備えたものが公共空間であると考えています。

言葉と言論空間・公共空間、社会との関係性について

牧野氏)まず言論空間という場合、言葉というのは私たちが持って生まれたもの、社会に生まれ落ちて覚えていくもの、誰かから無償で贈与されるものとしてあり、私たちはその言葉を使って自分のことを表現したり、お互いを理解し合ったり、空間を共有する感覚を持ったりする。そのような社会から生まれ出てきた私たち自身が、今度はもう一度言葉を使って社会とかかわりを結び直すみたいな感じになるのかなとも思いますが、そのあたりで先生方のお仕事は、そういうことにも繋がるのではないかなと。自分の生まれてきた社会の中で、その社会から自分が作られて出てきて、そしてもう一度この社会でまたいろいろな方々と関係を結び直していって、社会を作り替えていくみたいな動きにつながるのかなと思うのですが、そういう場としての公共空間という感じですか。

今里氏)そうですね。特に他者との会話、他者との対話を通じて、自分の姿が見えてくると思います。自分の中にある価値体系であるとか、思考のクセみたいなものがわかってくる。そういうことによって対峙化、自分を客観化することによって、「自分はこういうことが足りないな」とか、「ここにちょっと偏りがあるな」と、そして「こういうものが障害となって相手との間に壁があって相互理解がなかなかできない、だから他者受容も進まない」そういうことがわかっていくプロセスだと思います。

それは公共空間が作り出す一つの言語的な公共空間であり、そこに一つのある意味やルール、あるいは文化みたいなものが加わっていく。場合によっては非常に居心地がいいし、あそこに行くとアイデアが生まれるなとか、これをこういう風に書いたらどうだろう等、お互いクリエイティブでなれるような空間が生まれてくると思います。

牧野氏)それは相手を通して一旦自分を見つめ直す、そういう場であるという感じになっていくわけですか。

今里氏)そうだと思います。

牧野氏)それこそ相手とは、別に特定の個人でなくても、例えば社会であったりとか、また自分がさまざまな課題を感じていたりとかそういう対象になるもの。そこを通して自分を見つめ直していきながら、その中で自分が何ができるのかとか、何を考えていたのかといったことがよりはっきりしてくるみたいなことは、そういった関係性の中に置かれていくということになるでしょうか。

今里氏)我々の世界で普通に働いている人たちは、会社の中でいわゆる仕事上の話やコミュニケーションをし、家に帰って家庭の中で奥さんあるいは子供と話をする。もうひとつの場所として第三の場所、いわゆるサードプレイスみたいなのはなかなかないと思います。単に同僚と居酒屋に行って上司の愚痴を言うとかそういうことではなく、もっとこの社会の共通の課題について話しあうという、例えば「虐待が多い」とか、「そういうのはどうする」とか、こういうことについて真摯に向き合って話し合う空間というのは、辺り見渡してみるとあんまりないなという気がします。

牧野氏)それは例えば社会が工業化してどんどん機能分化していく、または分業の中で自分の仕事そのものが機能分化していく中で、単能工化してしまうといいますか、一つのことしかできない人間になっていくようなことが、今この工業社会の中で起こってきたのではないかなと思います。先生がさきほどの講演でご紹介くださった様々な方は、いろいろなことができる人になっていく。ひとつの仕事しかできなかった方々がソーシャル・イノベーションコースで学びながら自分がソーシャル・イノベーターになっていく過程で、例えば農業でも最初から最後まで全部できるようになってくるというのは、さまざまな工程が全部自分でできるようになっていくということでもあると思いますし、そういう意味ではいろんな仕事ができる人になっていくという、多能工化していくことだと思います。

そういう中では社会的な関心が広がったり、誰かとどこかで何か同じようなものを考えていたり、課題を感じていたり、共通項が見えてきたりするのではないかと思いますが、今里先生がいろいろな生徒さんと関わってこられて、その方々がどう変化していくかをご覧になっているのか、教えていただきたいです。

出会いの「場」から引き出す対面と対話と化学反応

今里氏)そうですね。

うちのコースの平均年齢が50歳近いということもありますが、それだけ人生経験を積んでいろいろな経験、職歴、人生経験を持った方々が集うわけですから、そこでいろいろな出会いがあるんですね。個性と個性がぶつかり、経験と経験が提起されて一つの化学反応を起こしていくというのがあると思います。

実際そういう異能―異なった能力経験―を持った人たちが、1つの学びの「場」、例えば大学という「場」で集まって議論し合う、知り合うという場所がなかなかないんです。だから私どものソーシャル・イノベーションコースはそういう「場」になったのかなと思います。

さっきも紹介しました町家キャンパス考古館がありますが、あそこには私が作ったカウンターがあり、こっち側は調理台とシンクがあり、向こう側にはカウンターテーブル、丁度都京都の割烹料亭みたいでそこに腰を下ろし、下は床暖房でポカポカ温かい。大体は私が料理して、提供して、料理やカウンターを介し対面で話す。そうすると本当にいろんな議論ができるんですよ。対面型のキッチン、対面型で食事をすることの素晴らしさを実感します、あれがあるかないかで本当に違ったと思います。

牧野氏)やっぱり対面と対話ですね。今はこのコロナで会ってはいけないなど、制限もたくさんありますけれども、このコロナ禍での動きはいかがですか。

今里氏)町家キャンパスはほんとシャットアウトですが、社会人の人たちはオンラインで良かったと言う声も聞きます。遠いところから通勤通学してなくてもいいし、むしろオンラインであることによって、今まで発言できなかった人たちがどんどん意見を聞くことによって、これまで以上に、対面方式である以上にいろんな議論を語るようになった。皆さん実に活発に議論されている。これは一つのありがたい変化だなという気がします。

牧野氏)その場合の空間は物理的な空間ではなくて、むしろちゃんと顔が見える関係があるかどうかですか。

今里氏)そうですね。やはり表情が見えるというのは大事なことであると思います。

牧野氏)あと、顔が見えたあともやはりそういう平場(ひらば)の関係といいますか、上下関係なく自由にモノが言える関係を否定し合わないというか、認め合う関係ができあがっていくんじゃないかなと思います。

(中略)

牧野氏)(KJ法によるまちづくりについて)また、みんながいろんな意見を平場で自分の言いたいことをお互いに言い合うと同時に、否定し合わない関係ができてきて、それを重ね合わせていくと誰も排除されない環境ができあがって、全員の意見が組み込まれていく。そして最後に一つの構想で物語が作られていくわけですけれども、それも結局みんなの意見が入った物語になっているので、そこはやっぱり自分がいるんだと思えるようなものができてくるんだと思うんです。

今里氏)先生のお話にありましたね。インクルージョン、あるいは居場所。排除されないということですね、否定されないということ。自分はここにいていいんだという感覚が、それが実感していける、そういう「場」であるところが大事だと思います。