※この記事は、第9回人生100年社会デザインフォーラム(財団代表理事 神野直彦氏の講演)から抜粋したものです。
分かち合いということは生きる、人間が生きるということは共にするものであります。共生社会というと文字どおり「共に生きる」というのですが、私は逆に読んでおりまして、生きることを共にしていく社会を作るととらえています。
これには2つのヴィジョンがあります。
1つは人間と人間とが生きるということを共にする。
もう1つは人間と自然とが生きるということを共にする。
この「生きるということ」を「共にする」ことの背後にある基本的な考え方は生命主義です。私たち人間の社会で最も価値がある、つまり社会の価値の最上位に置かなければならないのは人間の生命です。
この生命主義からいうと、私たちの生命を育むのには自然的環境と社会的環境といった2つの環境整備の条件が必要です。この2つの環境は、例えば「あの人は大変過酷な環境で育った」とあると社会的な環境と自然的な環境の両方が考えられるわけですね。
私たちが生きている社会は、これまで生きてきた社会と構造が大きく変わってしまっているので、人生100年社会を入れていこうとしています。自然環境も社会環境も破壊されている時代にさらにコロナが襲っていることを認識しなければいけないのです。
この「生を共にする分かち合いの原理」というのは、2つのことから成り立っています。
1つは、ただ存在しているだけでいいということ。
命がいちばん重要なのですから、私たちはただ存在しているということだけが必要だと相互に確認しあっている。
我々は福祉に携わるといつもこれを感じます。「障害を負った方は人に迷惑を掛けるだけなので、必要がない存在だ」という風にいいますが、実際にはそうではなく、「いや、障害がある子どもが居てくれたので、それで私は生きる意欲をかき立てられた」と言われた例がありました。つまり、その方が存在してくれているだけで立派に他者の生きる意欲をかき立ててくれている。存在しているだけで意味があり、必要だということを相互に確認しあっているのです。
もう1つは、これからの私達の運命については共同責任を負っているということです。
それはつまり参加主義です。
また「悲しみの分かち合い」としての幸福とは、私たちは自己の存在が他者にとって必要とされているんだということを感じたときに、幸福や生きがいを感じるんですね。それだけ、悲しみの分かち合いは重要だということです。
未来ヴィジョンとしての「人生100年社会」
未来のヴィジョンとして人生100年社会を見ると、自然環境と社会環境が崩壊されているのをどうやって直しながら、再び人間と人間がふれあい、人間中心で、人間を目的とする社会を作っていこうかということになります。
これはすでに始まっていて、例えば「幸せリーグ」では、GNP(国民総生産)を求めるのではなく、GNH(国民総ハピネス)を求めること、社会目標を変えていこうという動きがどんどん進んでいます。
イリイチという有名な哲学者が唱える「コンヴィヴィアリティ」とは「宴会」を意味する言葉で、楽しく人間のぬくもりがある地域社会を目指していく。これは一番重要なことでして、私たちが何かのボランティアに参加する時にもそうなんですが、まるで盆踊りに参加するかのようにすっと入ってすっと抜けていく、そういうことを求めているということです。
地方自治体では「幸せリーグ」と言って、それぞれの地方自治体が幸福を追求するということを目的に地方行財政を運営していくのだ、と結集している自治体が100ぐらいあり、私も顧問をしています。
また、経済界からも、経済社会システム研究所では三菱ケミカルの小林喜光氏が代表になられて私も顧問を務めていますが「KAITEKI研究会」を設置して、多様な価値の持続的創造の実現を目指しています。
Well-beingは、所有欲求で豊かさを追求するのではなくて、存在していることで満たされるということを目指すWell-being(幸福)です。
Well-beingは通常「幸せ」と訳されていますが、自然の側面から見た時に、自然と人間とが共生して調和することは「幸せ」というよりは「快適」のほうが適してるのではないかという考え、そして人間が社会でうまく調和すること、人間と人間が調和して幸せになることが、Well-being Capitalism(快適資本主義)の実現だと小林氏は主張しておられます。そしてこの快適資本主義の追求はもう始まっています。
グローバルの旗を掲げていたイギリスもEUから離脱して、アメリカもアメリカファーストだとか分裂していて、今や反グローバリズムの先頭に立っています。今や世界はポスト工業社会になり、そして同時にポストグローバル社会になっています。
ポストグローバリズム時代のヴィジョンとしての「人生100年社会」を作っていくことになりますが、一つは人々との触れ合いによってWell-beingを感じる社会「豊かな社会環境」と、「豊かな自然環境」との快適さに抱かれながら、人間主体の社会を地域社会から積み上げていくということです。
自然というのは地域ごとに顔があり、それに合わせて私たちはライフスタイルを作っておりますので、自然環境と社会環境が統合するのは地域社会から統合していきます。
やにわに国民国家同士で協力して環境をどうにかしようと言ってもなかなか協力してくれませんので、地域社会から下から上に積み上げていって、この2つの豊かな環境に抱かれながら、人間が主体となって、人間が目的となる社会を作っていく、これが人生100年社会のヴィジョンではないかと思っております。
また、スウェーデンが今年から方針を変えたのも注目されます。
グリーンリカバリーで環境を良くするとともに、福祉向上、そして人生の再調整を可能にする高める教育、それらによった強い社会づくりを掲げています。
量から質に変え、画一から多様性に変えながら、人生の再調整を可能にする社会を地域社会から積み上げて作る。
これがポストグローバリズム時代における「人生100年社会のヴィジョン」ではないかと思います。