※この記事は、第13回人生100年社会デザインフォーラム(ゲスト 三國清三シェフ(オテル・ドゥ・ミクニ)、財団代表理事 牧野篤氏との対談)から抜粋したものです。
牧野先生 戦前の日本ってどちらかというと、3世代で一緒に住んでいたりと、3世代同居が多くて、戦後それがなくなり、どんどんみんなが田舎から都会へ出てくる中で、2世代の家族、各家族になったんですよね。
先ほど三國シェフのお父様が漁師でお母様が農家だということでしたけれども、どうしても現役世代は忙しくて家にいない分、おじいちゃんおばあちゃんが孫の面倒を見ることになります。そして今度、現役世代が引退しおじいちゃんおばあちゃんになった時にまた孫の面倒を見るという形でつながってきているというのが社会のあり方でした。けれどもそれが特に戦後壊れたというか、みんな都市へ出てくる中で、おじいちゃんおばあちゃんがいない世代で家を構成することになったんですね。私もいわゆる鍵っ子でしたが、両親が働いていたら忙しいので子供はほったらかしになるわけです。そうすると、食べるものを作るというのはどうしても時間がかかりますから、外食をする、もしくは買ってくるものを食べることになってきますね。
それからもう一つは戦後、特にアメリカ型の生活が入ったということもありますが、特に工業化をどんどん推し進めることによって、みんなの生活が向上したんですけれども、その中で食生活もやはり工業化されていくので、全部外注になっていくわけですよね。そうすると、みんなが同じものを同じように食べることが良いことになっていって、その過程できっちりとしたものを作って食べるということにはなかなかならなかった。給食も多分その中に入り込んでいるので、「子供に旨いものを食べさせるなんて、贅沢させるなんて」という議論になり、とにかく同じものを一緒に食べさせればいいんだ。みたいな話になってしまいがちです。
例えば、「日本全国カレーの日」みたいな全国同じ日、同じ時間に同じカレーを食べているっておかしくないかという話が出ましたが、給食の考え方とはそういう話になっていくと思います。
ただ、工業化によって日本人の寿命が延びたことも確かです。生活を向上させたという面があるんですね、平均寿命が延びたということです。ですから、食事をとることと工業化は一体どうすればよかったのかなと思うんですよね。一面で豊かになるというのは、ものが豊かになっていくし、いわゆる栄養もちゃんととれるようになるし、医療も発達をするし、環境もよくなる。だけれどももう一面で今おっしゃったみたいに食事ということに対しては、ある意味では画一化していく、手が抜けるようになってくる。そうすると、みんなが同じものを同じように食べるということになっていくので、味覚も決まってきて、味付けも決まってくるんじゃないかなと思うのですけれども、そういうことって私たちはどう考えたらいいんでしょうか。
三國シェフ 理想的なのは、今先生がおっしゃったように発展、向上していくことですが、一方でそれに対比する心や気持ち、思いやりとかそういうものは薄れてきますよね。
例えばさっき僕も聞いていて、手作り感とかも一つかと思います。例えば子供のお弁当について、僕の家も女の子一人いましたから、お母さんを見ていると朝の5時ぐらいから起きて弁当をつくっているんですよ。それはもう一つの使命であり、愛情だと思うんですよね。そのお弁当がちゃんと戻ってきて、弁当が空っぽだとすごく嬉しそうなんですよ。逆にちょっとでも何か残っていると、「体調大丈夫だろうか」とか、「何かこういうの好きじゃなかったのか」とか思っていまして、僕はそれを見ていると、究極のコミュニケーションだと思うんです。
やっぱり我々日本人ってフランス人とかアメリカ人と比べるとあんまり「ありがとう」とか「愛しているよ」とか言葉は発さない。でもお弁当はおそらく日本にしかないシステムじゃないかな、ほとんどヨーロッパとかお弁当文化ってないと思うので。ああいうのを見ていると、やっぱり何かそういう心と気持ちの問題に関わってくるのだと思うんですよね。
今先生が質問されたのはそのもう片方で、なかなか難しいですがそれに心と気持ちのことも考えられて両立されて発展していったら、多分今のような状況にはならなかったと思います。
牧野先生 戦前の日本ってどちらかというと、3世代で一緒に住んでいたりと、3世代同居が多くて、戦後それがなくなり、どんどんみんなが田舎から都会へ出てくる中で、2世代の家族、各家族になったんですよね。
先ほど三國シェフのお父様が漁師でお母様が農家だということでしたけれども、どうしても現役世代は忙しくて家にいない分、おじいちゃんおばあちゃんが孫の面倒を見ることになります。そして今度、現役世代が引退しおじいちゃんおばあちゃんになった時にまた孫の面倒を見るという形でつながってきているというのが社会のあり方でした。けれどもそれが特に戦後壊れたというか、みんな都市へ出てくる中で、おじいちゃんおばあちゃんがいない世代で家を構成することになったんですね。私もいわゆる鍵っ子でしたが、両親が働いていたら忙しいので子供はほったらかしになるわけです。そうすると、食べるものを作るというのはどうしても時間がかかりますから、外食をする、もしくは買ってくるものを食べることになってきますね。
それからもう一つは戦後、特にアメリカ型の生活が入ったということもありますが、特に工業化をどんどん推し進めることによって、みんなの生活が向上したんですけれども、その中で食生活もやはり工業化されていくので、全部外注になっていくわけですよね。そうすると、みんなが同じものを同じように食べることが良いことになっていって、その過程できっちりとしたものを作って食べるということにはなかなかならなかった。給食も多分その中に入り込んでいるので、「子供に旨いものを食べさせるなんて、贅沢させるなんて」という議論になり、とにかく同じものを一緒に食べさせればいいんだ。みたいな話になってしまいがちです。
例えば、「日本全国カレーの日」みたいな全国同じ日、同じ時間に同じカレーを食べているっておかしくないかという話が出ましたが、給食の考え方とはそういう話になっていくと思います。
ただ、工業化によって日本人の寿命が延びたことも確かです。生活を向上させたという面があるんですね、平均寿命が延びたということです。ですから、食事をとることと工業化は一体どうすればよかったのかなと思うんですよね。一面で豊かになるというのは、ものが豊かになっていくし、いわゆる栄養もちゃんととれるようになるし、医療も発達をするし、環境もよくなる。だけれどももう一面で今おっしゃったみたいに食事ということに対しては、ある意味では画一化していく、手が抜けるようになってくる。そうすると、みんなが同じものを同じように食べるということになっていくので、味覚も決まってきて、味付けも決まってくるんじゃないかなと思うのですけれども、そういうことって私たちはどう考えたらいいんでしょうか。
三國シェフ 理想的なのは、今先生がおっしゃったように発展、向上していくことですが、一方でそれに対比する心や気持ち、思いやりとかそういうものは薄れてきますよね。
例えばさっき僕も聞いていて、手作り感とかも一つかと思います。例えば子供のお弁当について、僕の家も女の子一人いましたから、お母さんを見ていると朝の5時ぐらいから起きて弁当をつくっているんですよ。それはもう一つの使命であり、愛情だと思うんですよね。そのお弁当がちゃんと戻ってきて、弁当が空っぽだとすごく嬉しそうなんですよ。逆にちょっとでも何か残っていると、「体調大丈夫だろうか」とか、「何かこういうの好きじゃなかったのか」とか思っていまして、僕はそれを見ていると、究極のコミュニケーションだと思うんです。
やっぱり我々日本人ってフランス人とかアメリカ人と比べるとあんまり「ありがとう」とか「愛しているよ」とか言葉は発さない。でもお弁当はおそらく日本にしかないシステムじゃないかな、ほとんどヨーロッパとかお弁当文化ってないと思うので。ああいうのを見ていると、やっぱり何かそういう心と気持ちの問題に関わってくるのだと思うんですよね。
今先生が質問されたのはそのもう片方で、なかなか難しいですがそれに心と気持ちのことも考えられて両立されて発展していったら、多分今のような状況にはならなかったと思います。
※実際の対談内容はYou Tubeにてご覧いただけます:https://youtu.be/MKLZ_ZywFuQ
“工業化という社会の変化、食生活の変化について” への1件のフィードバック
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