お知らせご挨拶

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

 

当財団設立後3回目の新年を迎えることになりました。

これも、当財団の趣旨に賛同し、支えて下さった皆さんのおかげと、感謝しております。ありがとうございます。

 

財団の設立は2020年10月、コロナ禍の渦中でした。そして、昨年は新年を言祝いだのも束の間、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、世界は混沌の度合いを深めていきました。それはいまも終息が見通せません。さらにここに気候変動が重なります。

国内に目を転じてみれば、いまだに少子高齢化・人口減少という人口構造の変化に対応できないまま、経済を基盤とした社会が揺らぎ、人々の生活を脅かし続けています。

 

私たちは、自分が何かしたことの責任を取らされるという感覚のないまま、社会の大きな変動に巻き込まれ、それを日常生活で引き受けなければならない、そういう被害者意識を持ってしまいそうな事態に立ち至っているように思われます。そこからいきおい、その責任を誰かに転嫁したくなる、そういう感情に囚われてしまいます。それがまた、人々を孤立に追いやり、社会の底が抜けるがままにしてしまいます。

 

ゲーテは、かつて次のように語ったことがあります。「時代が衰退に向かっている時には、すべての風潮が主観的になる。しかし逆に、新時代に向かって事態が熟している時には、すべての風潮は客観的になる。」

これはまた「存在が意識を規定する」というマルクス『経済学批判』のあまりにも有名な言葉と重なります。

 

ゲーテの言葉は、歴史学におけるゴルディオス王の難問、つまり歴史学は進歩を信じるのかという問題に対する回答です。神託によって王となったゴルディオスが、自らの牛車を神殿に結びつけ、牛車を神殿から解放した者は、アジアの王となると予言した。しかし、ゴルディオスの結び目は、誰が挑戦しても解くことができない。ところが、アレクサンドロスはそれを解くのではなく、太刀で一刀両断にしてしまった。それで牛車を神殿から解き放つことができ、アレクサンドロスはゴルディオスの予言通り、アジアの王となった、という話です。

 

問われているのは、結び目を解くことなのか、牛車を神殿から解放して、アジアの王となることなのか、なのです。誰もが目の前の結び目に囚われていると、牛車は解放されません。しかし、本来の目的をとらえれば、解けない結び目は切ればよいのです。ゴルディオスは結び目を解けばアジアの王になるとはいわず、牛車を神殿から解放した者はアジアの王となると予言したのですから。

 

存在が意識を規定するのも、同じことです。私たちは存在によって意識を規定されていることを意識することができます。だからこそ、次の一手を考えることができます。それはまた、魯迅の「賢人と馬鹿と奴隷」にいう「馬鹿」にも通じるものかも知れません。

 

不平不満をいうだけでは、不正かどうかがわからなくなる。何が一番大切なのか。何がなされれば、自分は、社会はよくなるのか。不正は何なのか。このことを見失っていては、「賢人」か「奴隷」になるほかはありません。「馬鹿」こそが、不平不満を言わず、不正を暴き、状況を変革することができます。部屋に窓もないと不平不満をいう「奴隷」に対して、そのうちよいことが起こるでしょうと知ったような気休めをいう「賢人」でもなく、俺を部屋に連れていけといって、部屋の壁に穴を空けた「馬鹿」。私たちは、この「馬鹿」を笑えるでしょうか。「馬鹿」はアレクサンドロスなのです。

 

コロナ禍での苦しみの中で、少し視点をずらしてみれば、若い世代が新しい社会変革の動きをつくり出そうと動き出しています。世界的なアワードを受賞し、世界に打って出ようとする、当財団がかかわってきたスタートアップ企業が生まれました。「対話」を基本とする新たなコミュニティ経済をつくりだす試みが動き出しています。また、オンラインでの学習を覚えた高校生たちが、これまでの受験競争から自主的に降りて、新しいまちづくりや起業に取り組もうとする動きが見え始めています。彼らは皆、先の社会を、何が一番大切なのかを見ています。

 

そして、この若者たちの動きを支えようと、自らの経験を総動員して多世代の交流事業に乗り出した高齢者のグループが生まれています。

 

これらすべてが、当財団が目指しているライフサポートプラットフォームの構築へと結びつくものです。3年目の新年を迎えるにあたり、さらに多くの志ある人々とつながり、人生100年をすべての人々がいきいきと生きられる社会を目指して努力を重ねたいと思います。

 

本年も、倍旧のお力添えをお願いいたします。

よいお年をお迎え下さい。

 

 

2023年新春

一般財団法人人生100年社会デザイン財団

代表理事 牧野 篤