コラム

生きがいを支える医療をデザインする~グレーで緩やかな場の広がり~

※この記事は、第11回人生100年社会デザインフォーラム(財団顧問 武田俊彦氏、理事 占部まり氏、代表理事 牧野篤氏のディスカッション)から抜粋したものです。

武田氏)ACP(アドバンスド・ケア・プランニング)について私がよく言っているポイントに「家族等とよく話し合う」があります。将来の医療を本人はどう受けたいのか、そして本人はどういう最期を欲しているのかということは、ご家族と話すよりは近所の常日頃話をしている人に本当のことを言っているケースがあります。

結局言えることとして、やはりふだんの付き合いが大事だということであり、ふだんの付き合いが大事というのは、ふだん付き合えるようなコミュニティーをつくるということであり、そういうコミュニティーをつくるためには誰がどういう役割を果たしたらいいかという事に注目することが大事です。それは自治体かもしれないし、企業かもしれないし、その町内会かもしれません

病院への依存と自分の健康管理

占部氏)「依存」ということに対しては、やはり転換期にあると思っていまして、医療者でない人たちが自分で自分の健康を管理する、そういった視点が必要なのかなと思っています。

今も戦っていますが、今まで感染の高い結核とか赤痢といった病気はすぐ医療機関にかかってなるべく早く治療することが必要だったんですけれども、今は慢性疾患が多くなっていますので自己管理が大事です。そうすると健康という考え方も以前お話しさせていただきました「ポジティブヘルス」※別コラム参照(http://www.100design.or.jp/2021/12/28/column7/)、オランダで始まった健康を状態ではなくて、能力とする。困難な状況に立ち向かう能力。それは自分自身が理解していくべきものだというような発想の転換になってくると、依存ということも減り、適切な医療にかかるタイミングもわかってくるのではないかなと思っています。

牧野氏)ただし、実際に自分がそういう目に直面したときにどういうふうに自己管理をすればいいのかというのがよくわからない。そこについても医療者の方々にアドバイスを受けながら、寄り添っていただくってことになるんだろうと思います。ただ、個人的な感覚で思うのは、医療に向かう前に例えば親しい友人であったりとか、または近所の誰かであったり、親戚であったり、友達で状態を共有しあい、お互いが支え合いながら自分の健康をそれぞれ自己管理できるようになる。病気にかかってもポジティブヘルスを基本にしながら、一緒に生きていこうねという関係があるといいなという風に思ったりします。

楽しくゆるく繋がれる場所の重要性

牧野氏)先ほど食べることの重要性(講演を参照)の中で言われたように、例えば同居されていても、孤食の人は死亡率が高いというデータから見ると、やはり人間関係が大事なのかなと思いますが、その辺で何かお考えなどお聞かせ頂けますでしょうか。

武田氏)大変重要なテーマであり、かつ難しいテーマでもありますね。つながりをどうやってつくるかということなんですが、私も含めてということになっちゃいますけれどもみんな職場人間なんですよね。

それで、つながりというのが基本的にずっと職場でつながれてきて、職場の中はもうガチガチにつき合ってきたけれども、一歩職場を離れるとつながりがないというのが結構多いパターンじゃないかと思う。ところが冒頭お示ししたように、一人で食べているということが最大のリスクだということになると、少なくともそういうところから少し考えていかなければいけない。

厚生労働省的には、昔からリハビリが必要な人についてはデイケアだとか、入浴の介助が必要になってからデイサービスとかいろいろやってきました、また医療も病気になったら全力で治療するという体制とそのような医学教育をしてきたわけですけれども、その手前のサポートがないんです、やっぱり。そこは行政の最も苦手とするところでもあるんですよね。一つは、自然につながりができるような町のインフラみたいなのも大事だと思いますし、厚生労働省的には最近どういうことを言っているかというと、「通いの場」という概念で「行くところをつくろう」と。行くところをつくって、できればそこで何かお茶飲んだり、ご飯を食べたりというところをつくる、なるべくそこに引っ張り出すということを事業として始めたところだったのですが、コロナで完全に停滞してしまいました。だけど、そろそろまたそこに軸を戻していかないといけないんじゃないかなという風に思いますが、なかなか難しいテーマだと思います。

占部氏)30年前ぐらいにナショナルジオグラフィックという雑誌が「100歳以上のお年寄りが健康で暮らしている地域」を調べたときに、コスタリカとかはとてもバリアフリーではないし、医療インフラが整っているとは言えないような場所で、インタビューを重ねた記者がいまして、それがサンドリーヌ島でお年寄りに「人生最大の楽しみは何?」というインタビューをしたら、「この夕方、このカフェに集まって友人と夕日を見るのが最高だ」と言った。そういった楽しくゆるく集まれる場所というものが必要なんだろうなと。そういったものって本当に一朝一夕でできるものではなくて、何となくふわっとできて消えたりというようなところが重要なのかなと。

昨今はつながる・つながらない、悪い・悪くない、感染している・してない、医療を受ける・受けないみたいな2極化となっていて、必ず白黒がつくような世界観が強いような気がしますが、そこのところで「グレーな緩やかな場所」がより多くできていくのがいいんじゃないかなと思いながら、では具体的にどうやって作りますかと聞かれたら、武田さんがおっしゃったような食の場が一番有力候補なのかな、なんて思っています。

牧野氏)今のところはそういう感じかもしれませんね。お話を伺っていますと、私たちの教育の場でも今はどうしても白黒はっきりしなさい、ゼロトーレランスといって寛容性をなくして厳しくみたいな議論がとても強くなっているんですけれども、本来自立をするとか大人になっていくというのは、グレーゾーンが広がっていくことだったんじゃないかなとも思うんですね。そのグレーゾーンとは人に頼ることをよしとして、また頼る人や頼れる人がいっぱいできてくる。自分も頼られる人になっていくんだというその相互性の中で、その都度いろんな関係を自分で選びながら判断できるようになっていくというのが本来大人になったり、自立をすることのようだったんだと思いますが、今はそれは全部がなくなっちゃって、白か黒かどっちかで敵か味方みたいなんですね。

今までの医療も教育もそうかと思いますが、年齢別に区切っていたり、または症例別とか学ぶ教科別に区切り分けていくことで、効率性を高めてきたという面がありますが、占部さんや武田さんがおっしゃった「曖昧な」とか「ふわっとした」感じというのは、そこをもう一度ゴチャまぜにしていく、または「きっちりと分けなくても大丈夫なんだよ」という関係にしていく、そしてそのことにつながるのではないかと思い、お話を伺っていました。